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【編集日記】(5月25日付)

 津波や福島第1原発事故の影響で被災地や原発周辺の児童や生徒は、避難先の学校や協力高校などで授業を受けている。古里や親元を離れての教育は、1944(昭和19)年に実施された学童疎開の姿と重なり合う▼本県は東京6区の疎開児童を受け入れた。「福島の空の下で」(荒川区教委発行)によると、荒川区からも30の国民学校から約1万人の児童が教師らとともに県北、県南地方の旅館などに疎開した▼配給制に縛られながらも親が必死で集めた生活用品を背に上野駅から福島へ。「お母さん」と泣いた3年生の妹の手を引いて父母と別れた、とは飯坂温泉に疎開した6年生の兄の回顧。卒業のため翌春上京するも母校は大空襲で焼失した▼午前は宿泊先で勉強、午後は地元校での授業が疎開先での基本。現在の「サテライト方式」の先駆けでもある。学校により地元の子どもに交じったり、教室を借りて授業を受けたりもした▼疎開児は空腹に耐え郷愁の念を募らせた。勇ましく決意を述べても、夜は寂しさから泣きだした下級生もいたという。原発事故では、借り上げた公共施設の寮で生活する高校生もいる。慣れない環境ではやはり、家族への思いも強まろう▼学童疎開は敗戦で幕を閉じた。政府は指導力を強めて原発事故を早く収束させ、児童や生徒、住民の避難を終わらせるべきだ。
 
  福島民友新聞
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2011.05.25 Wed l メディアリテラシー l top
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