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http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m05/fudo110514.htm

風 土 計

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2011.5.14

 一関市地主町の磐井橋たもとに位置する「二夜(ふたや)庵」跡は松尾芭蕉の「奥の細道」の旅で最北の宿として知られる

▼芭蕉が雨の中を一関に到着したのは1689(元禄2)年の旧暦5月12日夕暮れ。宿は俳人を輩出した金森家で、翌13日には好天に恵まれて平泉へ足を伸ばし金色堂や高館を見学。2泊した後、14日に出羽に向けて旅立った

▼芭蕉が平泉を訪れ、「夏草や兵(つわもの)どもが夢の跡」「五月雨の降(ふり)残してや光堂」の2句を残したのは、源義経が非業の最期を遂げてからちょうど500年後。旅の主な目的の一つは義経主従の最期を弔うためだったとされる

▼以後、芭蕉の足跡を慕って多くの文人らが訪れて、平泉を世に知らしめた。芭蕉こそ、来月に晴れて実現する世界遺産登録の最大の功労者の一人と言っても過言ではあるまい

▼日本人ばかりではない。日本文学研究で知られるドナルド・キーンさんも芭蕉研究を通して平泉を知った。「震えるほどの美に打たれ、われを忘れて、この世ではない世界に見入った」。金色堂の内陣を見た印象を数年前、インタビューでうかがったことがある

▼キーンさんは東日本大震災の被害に心を痛め、米コロンビア大名誉教授として最後の授業を終えて日本永住を決意したと知った。奥の細道に導かれた運命の巡り合わせを感じずにはいられない。

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2011.05.14 Sat l メディアリテラシー l top
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