上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--.--.-- -- l スポンサー広告 l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20110505_01.htm

河北春秋 大震災の翌日、テレビで「みんないなくなっちゃった。お母さん、お母さん、お母さーん」と必死に声を振り絞る少女を見た。彼女は今どうしているだろう。お母さんは見つかっただろうか▼親が亡くなったり、行方不明になったりした子どもが大勢いる。震災から2カ月弱。癒えぬ悲しみと募る孤独の中、巡ってきたこどもの日である。青空を泳ぐこいのぼりに「親鯉(ごい)」の姿を重ね合わせる子もいよう

 ▼金子みすゞの詩『こころ』を読んでみる。<私は子供でちいさいけれど、ちいさい私の心は大きい。だって、大きいお母さまで、まだいっぱいにならないで、いろんな事をおもうから>▼幼心はがんぜない。母親のありがたみなど、どこ吹く風。遊びのこと、友達のことで心は満たされる。その平凡を震災は断ち切り、子どもたちの心を親の不在という受け入れ難い現実で打ちのめす

 ▼みすゞには、『空の鯉』と題した威勢のいい詩もある。池に映った雲を見て跳ねるコイに、<おまえも雲の上をゆく、空の鯉だよ、知らないか>と語り掛ける▼いま若鯉たちはよどみ、光も差さない悲しみの岸辺にいる。涙で池はあふれそうだ。それでも、やがて聞こえてくる。雲の上から親が「跳ねて」と促す声が。その日まで、甘えるだけ甘えていい。大人が君たちを支える。

2011年05月05日木曜日
関連記事
スポンサーサイト
2011.05.05 Thu l メディアリテラシー l top
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。