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http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m04/fudo110430.htm

風 土 計

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2011.4.30

 1896(明治29)年6月15日。明治三陸大津波が本県沿岸部を襲った日、原敬は前日から盛岡に一時帰省していた

▼外務次官から朝鮮駐在公使に転じるにあたり、大慈寺で法要を営むためだった。その日の原敬日記に「昨夕八時頃宮古釜石邊(辺)東海岸に未曽有の海嘯(津波)あり、死する者二万余人、南盛町邊北八戸邊に及び其中央最も甚だし」と記している

▼三陸を縦貫する鉄道構想は、この津波の被害復興策として浮上。同年7月には時の逓信大臣に「三陸鉄道株式会社創立趣意書」なるものが提出されている。会社設立は結局幻に終わったが、大正に入って動きが活発化

▼原が内務大臣として活躍し始めた時期には、県議会で「沿海を縦貫する鉄道敷設の件」「三陸鉄道敷設の件」の意見書を相次いで可決。原内閣時代に成立した地方鉄道法と、その後の新鉄道敷設法で三陸縦貫鉄道建設のレールが敷かれた

▼「走った悲願の三陸鉄道」「万感胸に開業式」。27年前の4月2日付本紙朝刊は晴れの開業の日を迎えた沿線住民の喜びを伝える。その横には甲子園センバツで県勢初の「8強」に進出した大船渡高の活躍が報じられている

▼三陸鉄道は3年後をめどにに全面復旧する考えを明らかにした。長い時間と多額の費用が必要だが、鉄路の復活を被災地のあすにつなげたい。

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