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 【編集日記】(4月27日付)

 太平洋戦争では空襲などで両親を亡くした戦災孤児が生まれた。戦後の大きな社会問題となったのが、孤児たちの養育だった▼桜の聖母短大名誉教授上野正治さんは3月発行の「短大人間学研究所所報別刷」の中で、短大開設の母体となったノートルダム修道会・院がこの孤児たちを引き受ける役割の一翼を担ったと触れている▼これによると県を通して厚生省から養育の打診があり、1946(昭和21)年だけで東京などから19人を引き受けた。戦時中に会津若松市に軟禁中だった修道女たちは、終戦とともにまず孤児を引き取ることを計画していたという▼修道院3階の屋根裏が改造されて孤児の部屋になった。修道女らが衣服の確保や直しも含めて世話に当たり、孤児を対象として桜の聖母学院初等学校が開校。さらに一般家庭の児童も入学して小学校へと発展した▼東日本大震災でも本県や岩手、宮城の3県で両親が死亡したり、行方不明になったりした18歳未満の震災孤児は100人を超えた。調査が進めば、さらに増えるとみられている。戦争ばかりでなく、震災でも子どもたちが心に受けたダメージは計り知れないほど大きい▼戦災孤児は慈しみの心で自立にまで導かれた。今回はさらに、県内外で避難生活を送る児童を含め専門家による支援が必要だ。息の長い手厚いケアが欠かせない。
 
  福島民友新聞
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2011.04.27 Wed l メディアリテラシー l top
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