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http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111126_01.htm

河北春秋 「昨夕八時頃宮古釜石邊(辺)東海岸に未曽有の海嘯(かいしょう)あり、死する者二万余人。南盛町邊北八戸邊に及び其中央最も甚だし」。盛岡出身で、東北初の首相になった原敬の日記にある。海嘯とは津波のことで、盛町は現在の大船渡市を指す▼1896(明治29)年6月15日に起きた明治三陸地震の津波である。原は当時外務官僚で、法事のため帰省中だった。原を高く買っていた元外相陸奥宗光はその身を案じたという

 ▼盛岡市では、市民有志でつくる「原敬を想(おも)う会」が原の命日の11月4日、菩提(ぼだい)寺の大慈寺で追悼会を開いている。東日本大震災後初めてとなることしは、約200人が参列した▼あの日から8カ月たつのに、被災地から見れば、国の復興対策は遅々として進んでいない。参列者の代表からは「復興の遅れの原因は政治の貧困にある。今、原ありせば、という思いだ」と憤る声も聞かれた

 ▼本格的な震災復興に向けた国の第3次補正予算は21日、ようやく成立した。岩手の被災地では、もう雪が舞っている。時期の遅さは今更言うまい。求められるのは、盛り込まれた復興事業のいち早い実行だ▼原は晩年、10代で古里を離れ、約50年他郷にある人生を振り返り「わけ入りし霞(かすみ)の奥も霞かな」と詠んだ。だが、国が描く復興が「霞の奥」のままでは困る。

2011年11月26日土曜日
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