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正平調
2011/11/15
阿武隈山地にある福島県飯舘(いいたて)村は、かつて冷害に繰り返し見舞われた。「貧しい村だったから、までいライフを皆でつくり上げてきた」と佐野ハツノさん(62)は胸を張る◆「までい」とは「手間暇を惜しまない」「じっくり」といった意味の方言だ。村を挙げて肉牛の飼育にあたり「飯舘牛」のブランドを築いた。稲作も牧畜もしながら、念願の農家民宿も始めた◆3月11日、地震の被害は軽微だったが、風が放射性物質を運んできた。村のほぼ全域が福島第1原発の30キロ圏外なのに全村避難を強いられた。長男は「農機具を守ってくれな」と言い残し栃木県の牧場に働きに出た。孫らも続いた。佐野さんは夫とともに福島市の仮設住宅へ。犬を残してきたから飯舘にたびたび帰る◆3世代で暮らしてきた高齢者が仮設住宅で独りになり、認知症やうつ病になったという。古着を仕立て直す場を設けるなど、佐野さんは避難者が楽しく過ごせる工夫を凝らす◆村に帰るには土壌の除染が欠かせない。表土のはぎ取り、表土と地中の土との入れ替え、大型掃除機による山林の落ち葉の除去‐。実証実験は試行錯誤だ◆原発が何をもたらすのか、東京の会合で佐野さんの報告を聞いた。難民という言葉を思い浮かべた。でも佐野さんは言う。「難民になってはいけない」と。帰るべき場所
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2011.11.15 Tue l メディアリテラシー l top
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