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【編集日記】(10月29日付)

 そば通にとって新そばを味わえる秋はたまらない季節だ。県内産地でも、そば祭りがにぎわっている▼本県もそばには縁が深い。猪苗代町の惣座(そうざ)遺跡では、井戸からかますに入ったかなりの数のソバ粒が見つかった。今から800年以上前の平安時代後期に冷温状態で保存して栽培に使ったとみられている▼そばはそもそも、飢饉(ききん)などに備えた非常食として植えられたが、今のような形で一般に食べられ始めたのは江戸時代。もりは中でも早くから好まれ、人気は笑い話にもなった。寛政年間刊行「松魚(かつお)風月」の「そばきり」を要約してみよう▼品川沖にクジラが現れ小魚たちの歓迎を受ける。「何かご馳走(ちそう)したい」と小魚。クジラが答え「特別な物よりそばを食べたい。ただし、もりはごめんだ…」。そばと捕鯨に使う銛(もり)が掛けられている(鈴木健一著「風流 江戸の蕎麦」中央公論新社)▼松尾芭蕉もそば好きだった。奥の細道紀行の須賀川や出羽三山の羽黒山でそばを振る舞われたと「曽良日記」。一方、明治時代に西会津町の峠の宿でイザベラ・バードは「粗い麦粉と蕎麦をこね細長く切ってゆでられた物」を食べている(高梨健吉訳「日本奥地紀行」平凡社)▼そば発展の原点は愛好家によるおいしさへのあくなき追求だろう。「つなぎなし」から「二八そば」まで、新そば談議にも花が咲く。
 
  福島民友新聞
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2011.10.29 Sat l メディアリテラシー l top
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