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あぶくま抄(10月27日) 
 会津身不知[みしらず]柿[がき]が収穫時期を迎えた。大粒で色づきの良い実が出荷されている。安全性も確認済みだ。一方、伊達地方のあんぽ柿は生産を自粛している。原発事故が里の秋に影を落とす。

 〈五十とせのむかしのままに残りけり 柿の実うりし道のべの石〉。歌を刻んだ碑が、身不知柿の産地である会津若松市門田町面川地区の国道沿いに立つ。明治から昭和初期の軍人柴五郎の作だ。昭和4(1929)年に地元有志が建立した。風化に加え、車の接触事故で欠損が著しい。

 柴は幕末に会津藩士の子として生まれた。戊辰戦争後、斗南(青森県むつ市)に移住し、苦難の生活を送った。鶴ケ城落城時には母や姉妹が自刃するなど、多くの親族を失う。幼かった自身は碑近くの山荘にかくまわれていた。農民の子の姿で、道端に柿やクリを並べて売ったこともあったという。歌は当時を懐かしむ内容だ。鮮やかな朱色が遠い日の記憶を呼び起こしたのだろうか。

 身不知柿は、戦国時代に安達地方の領主が戦いに敗れて会津に落ち延びた際に持ち込んだ-との言い伝えが残る。今年のもぎ取りには、浜通りからの避難者が加わった。小さな実に望郷の思いが詰まっている。

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2011.10.27 Thu l メディアリテラシー l top
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