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北斗星(10月19日付)
 「社会」と言うより「世間」と言った方がしっくりくる場合が多い。「世間に通用しない」「世間の口に戸は立てられぬ」といった表現はどなたもおなじみのはずである

▼このことの意味は決して小さくない。実は社会は、明治期の近代化とともに入ってきた英語の「ソサエティー」の訳語。西欧流の考え方に基づく言葉で、はるか昔から根付く世間の方が感覚的にぴったりくるのは、むしろ自然かもしれない

▼世間は広いようで狭い。組織となればなおさら。絆が深まる一方、しがらみも幾重にもまとわりつく。やらせ問題に揺れる電力各社はどうだったのだろう。関係者全員が何のためらいもなく悪事を働いたというより、組織にからめ捕られた側面が強いような気がする

▼組織という世間では物事の正しさより、そこに所属する人たちの関係をどう保ち、守るかに重きが置かれがち。もっぱら目の前の平穏無事に関心が向き、波風が立つ正義の実現は敬遠されるケースが多いのである

▼面白いのは世間は一様ではなく、ある意味で柔軟な点だ。九州電力という「小さな世間」では通った言い分も、世の中という世間では通用せず、やらせメール問題報告書の再提出を迫られたのはその一例といえる

▼英語で裁判所を「コート・オブ・ジャスティス」(正義をなす所)という。論語にも「義を見てせざるは勇なきなり」とある。もっと正義が通用する世間を次世代に引き継ぎたいと願うのは、あまりに「世間知らず」だろうか。

(2011/10/19 付)
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2011.10.19 Wed l メディアリテラシー l top
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