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あぶくま抄(9月5日) 
 台風12号が再び、会津の人々を不安にした。南会津町で倒木が県道をふさぎ、床上や床下浸水の被害が出た。会津若松市では突風で民家の屋根が吹き飛ばされた。奥会津を襲った豪雨災害からまだ1カ月余りだ。傷痕が癒えないうちに、また天災が降り掛かる。

 豪雨災害の現場を訪れると、線路が寸断され、橋脚だけを残すJR只見線の鉄橋が目に飛び込む。河岸が削り取られ、濁流の跡が畑にあった。80歳を超す住民が自宅の泥をスコップで懸命にかき出す。川と共に生きてきた人々の平穏な暮らしを、川が奪うとは…。
 400年前の慶長16(1611)年夏、会津地方をマグニチュード7規模の大地震が襲った。死者は約3700人、倒壊家屋約2万戸を数える。鶴ケ城の天守閣も傾く。会津盆地の出口付近は崩落した土砂で阿賀川がせき止められ、「山崎湖」ができた。面積は10平方キロ超に及び、集落20数カ所が水没した。

 水抜き工事は難航を極めた。湖が消えるまで半世紀を要したと記録にある。先人は幾度も困難を乗り越えてきた。天災に負けまい。浜通りの人たちも闘っている。行政の復旧工事も急がれる。再び美しい故郷を取り戻すまで。

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2011.09.05 Mon l メディアリテラシー l top
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