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http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m08/fudo110803.htm

風 土 計

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2011.8.3

 首相はどっちつかず、官僚は非協力的。今の政治の話ではない。関東大震災発生を受けて、水沢生まれの後藤新平が内務大臣に就任した当時も、政情は不安定だった

▼東京市長を辞して間もなく、加藤友三郎首相が現職のまま死去。後継となった山本権兵衛が組閣に手間取るうちに関東の大地がズシンと揺れた。1923(大正12)年9月1日。新平が「帝都復興の議」を提案したのは、その5日後だ

▼政情も世情も混乱を極める中で、早期に復興の方向が定まったのは、一にも二にも新平の功績だ。だが率直な物言いが災いして敵も多い。新平が主張した復興省が復興院に格下げとなったのは、権限を失うことに官僚が反発したからだ

▼国による「焼土全部買上案」も、利権を脅かされる地主層の側に立つ政友会が猛反発。財政難に伴うリストラで、復興院も内務省復興局に縮小された。極め付きは同年暮れの虎ノ門事件。後に昭和天皇となる摂政の宮が襲撃されたのだ

▼山本内閣は総辞職。昭和通りや日比谷通りなどの主要幹線、災害時の避難場所となる隅田公園や浜町公園など、新平が現代の東京に連なる都市基盤を築いたのは内務大臣としてのわずか4カ月間の実績だ

▼首相はどっちつかず、官僚は非協力的。これは今の話。辞めないで長く務めれば何かできるというものでもない。

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