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正平調
2011/07/10
山口弥一郎は、半世紀以上にわたって三陸海岸の村々を訪ね歩き、津波被害からの再興の軌跡を調べた研究者だ◆柳田国男から民俗学を学ばなかったら彼の名著はなかったかもしれない。柳田は山口にこう助言している。「一人の尊い命でも救助を願うのなら、漁村の人々にも、親しく読める物を書いてみてはどうか」◆これをきっかけに、山口は「津波と村」を書いた。宮城県の牡鹿半島から青森県の下北半島まで、明治29(1896)年と昭和8(1933)年の津波による被害だけでなく村々が再建される過程を明らかにした◆岩手県宮古市の姉吉地区は明治、昭和とも壊滅的な被害を受けた。そこで、海抜60メートルの高台に石碑が建てられた。「…想(おも)へ惨禍の大津波、此処(ここ)より下に家を建てるな」。東日本大震災でも40メートル近い津波に見舞われたが、教訓を守った住民と集落は被害を免れた◆だが、三陸全体では高台に定着した集落は多くない。漁業者には不便で、暮らしを脅かすことになったからだ。代々引き継いだ土地への愛着も強い。山口の著書は移住が一筋縄にいかないことを示している◆東日本大震災でも、被災者の高台移転や浸水地の国有化が議論される。「津波と向き合い、危険と隣り合わせで生きてきた人々の歴史をたどれば、今の課題も見えてくる」と東京学芸大の石井正己教授。先ごろ復刊された「津波と村」に刻まれる被災者の姿に目を凝らしたい。

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2011.07.10 Sun l メディアリテラシー l top
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