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あぶくま抄(7月6日) 
 「絆を守り、災害に強いまちをつくる」「復興に全身全霊をかける」。市長が、知事が誓った。3日に行われた南相馬市東日本大震災慰霊祭の式辞と追悼の言葉だ。全国の避難先から集まった遺族を含め約千人が参列した。「心の区切りは原発事故収束」の一言が重く響く。
 人口が半減して悲鳴を上げる商店街、従業員が避難して仕事にならない企業、営業を再開しない全国チェーン店。袋小路のような交通網、機能を果たせない病院。避難所になっている学校。子どもの声が聞こえない通り。普通のまちに見える、緊急時避難準備区域の同市原町区の現状だ。
 それでも、千有余年の伝統は守られた。相馬野馬追が23日から3日間、規模を縮小して開催される。数10万人も人口が減った江戸中期の飢饉[ききん]、太平洋戦争中も続いた神事は大地震、原発事故にも負けない。鹿島区の北郷騎馬会長は総会で「護国鎮守、復興の原動力に」と、昨年の半数以下になった出場者にげきを飛ばした。
 「ここで踏ん張らなければ」と、市民がつながって復興を目指す市民団体がある。いらだちと諦めの顔も見える。複雑な思いを抱えて、復興はもどかしいスピードで進む。
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2011.07.06 Wed l メディアリテラシー l top
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