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http://www.at-s.com/news/detail/100079171.html

11月28日(月)(11/28 07:25)

 「命は一つ」で始まる加川良さんの「教訓1」。フォークソングと青春を過ごした世代には懐かしい歌だろう。ひょうひょうとした加川さんの持ち味が出た、皮肉が効いた反戦歌である

▼久しぶりに聴いた。静岡市で開かれたシンポジウム。基調講演の冒頭、歌詞の「お国」を「会社」に変えて歌い、この日の主題の自殺防止を呼び掛けたのは振付師、心理カウンセラーなどとして活躍するwatariさん。お笑い芸人が社交ダンスに挑戦したテレビ番組の「金髪先生」と言えば思い出す人もいるかもしれない

▼映画「Shall we ダンス?」のダンス演出なども手掛けたwatariさんを襲った悲劇、母親の自死。自責の念からうつ病を患い、経営する会社の倒産も重なって自らも死に場所を求め北海道をさまよった。体験を下敷きにした「命を捨てるな」の訴えは迫力があった

▼自ら命を絶つ人が一向に減らない。13年連続で3万人を超え、今年も改善の兆しは見られない。不眠に着目した早期発見・早期治療のうつ病対策に全国に先駆けて乗り出した本県でも、残念ながら高止まり傾向が続く

▼自殺対策基本法の制定、総合対策の推進と、国が無策だったとは言わない。だが、最近聞こえてくるのは税負担の増大や年金の減額、生活保護適用の厳格化といった国民のストレスを増やし、安全網の目を広げる話ばかりだ

▼watariさんも指摘していたが東日本大震災被災地の動向も気になる。今のところ顕著な増加は見られないが、大切な人を失い、仕事や古里を奪われた人の心の傷を思えば油断はできない。時が経過して孤独死の問題が深刻化した阪神・淡路大震災の教訓も生かさねばなるまい。



2011.11.28 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111128_01.htm

河北春秋 米公立学校の昼食メニューではピザは野菜として分類されている。「トマトソースが茶さじ2杯塗ってある」から、多少脂っこくてもベジタブルなんだという▼さすがに「そんなバカな」という声は米国内でも高まった。オバマ政権は「学校での食事の質向上」を後押ししたが、支出削減の流れにあらがえず、修正は失敗。冷凍食品業界は胸をなで下ろしたと外電は伝える

 ▼1980年代、レーガン政権はケチャップを「野菜」と位置付けた。たっぷりの砂糖や塩分が入っていてもベジタブル。産業界の意向が背景にあったのは言うまでもない。市場が成熟すれば、企業の目は公的需要に向けられる▼戦後の脱脂粉乳、学校給食のパン、牛肉とオレンジ。日本の食卓は常に米産業界のロビー活動の影響に左右されてきた。一方でわれわれは食卓の変化を「豊かさ」として受け入れた

 ▼旬を大切に、地産地消を心掛ける。食をめぐる古くて新しい考え方の背景には、そうした無自覚な変化への反省がある。反省は緒に就いたばかりで、生産者と消費者を結ぶ絆は、まだ細く弱い▼遺伝子組み換え作物や牛海綿状脳症の安全対策など、日米間だけでも食の課題は山積する。日本の食を守れるか。環太平洋連携協定(TPP)の交渉は、食を産業界の視線で語る国が相手だ。

2011年11月28日月曜日
2011.11.28 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1127n.html

【編集日記】(11月27日付)

 「強烈な関心は減関心となり、やがて風化し無関心となる」。脚本家の倉本聡さんが、本紙への特別寄稿「福島を歩く 下」の中でこう記している▼大震災で出たがれきの受け入れを、他の自治体が拒否し始めている状況を憂えての言葉だった。「そういう人間ばかりではない」「痛みを共有し続けている者もいる」とする倉本さんへの共感が広まってほしい▼その”減関心”につながる数字を見た時は、ちょっとした衝撃を感じた。環境省の4月の調査で全国572市町村・事務組合ががれき受け入れを表明したが、10月の再調査では受け入れ6、検討中48に激減した▼被災3県の震災がれきは膨大な量で、とても単独で処分することはできない。現段階で広域処理の対象になっているのは宮城、岩手両県で、基準を超える放射性物質は検出されていないが、心配が協力を阻んでいる▼原発事故という先の見えない苦労も抱えた本県は、その広域処理の枠に入ることもなく県内処理が基本とされている。致し方ないのだろうとは思う半面、47都道府県の一員に数えられていないような感覚が去来する▼倉本さんは寄稿終章で「(絆は)からみ合う根が互いに助け合う『木綱』から来ているのでは」と語り掛ける。痛みを共に感じてくれた時は確かにあったはず。片思いではなかったことを信じていたい。
 
  福島民友新聞
2011.11.28 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1128n.html

【編集日記】(11月28日付)

 20世紀のイタリアを代表する児童文学作家にジャンニ・ロダーリがいる。第2次世界大戦ではレジスタンス運動にも加わった▼絵本「キンコンカンせんそう」(アーサー・ビナード訳、ペフ絵=講談社)は、そうした彼の体験が反映された作品。長引く戦争で金属が不足したところから物語が始まる。それぞれの国では、大将の命令で教会や時計塔などから鐘を集めて溶かし巨大な大砲を造った▼そして双方から大砲が発射される。だが出たのは砲弾ではなく鐘の音。互いの兵隊は平和が来たと祝い合い、逃げる大将たちの後を鐘の音が追い掛ける…と、ユーモラスに戦争の愚かさを描く▼わが国では先の戦争で実際に金属類が回収された。物量不足を補う政府の苦肉の策だったが、家庭の鍋釜から教会や寺院の鐘までもが供出された。福島市の日本基督教団福島教会会堂の鐘も運命に逆らえなかった▼福島教会は米国人建築家で社会福祉事業家のウィリアム・ボーリズが日本で初めて設計した教会。教会の鐘は惜しまれて福島を離れたが、さらに続きがある。溶かされずに残り米国に渡った後、進駐軍から教会に返還された▼会堂は登録有形文化財の指定を受けたが大震災で被災、既に解体された。ただ鐘は難を逃れ保管されている。いつの日か会堂が再建され、奇跡の鐘がまた鳴り響くように祈りたい。
 
  福島民友新聞
2011.11.28 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111126_01.htm

河北春秋 「昨夕八時頃宮古釜石邊(辺)東海岸に未曽有の海嘯(かいしょう)あり、死する者二万余人。南盛町邊北八戸邊に及び其中央最も甚だし」。盛岡出身で、東北初の首相になった原敬の日記にある。海嘯とは津波のことで、盛町は現在の大船渡市を指す▼1896(明治29)年6月15日に起きた明治三陸地震の津波である。原は当時外務官僚で、法事のため帰省中だった。原を高く買っていた元外相陸奥宗光はその身を案じたという

 ▼盛岡市では、市民有志でつくる「原敬を想(おも)う会」が原の命日の11月4日、菩提(ぼだい)寺の大慈寺で追悼会を開いている。東日本大震災後初めてとなることしは、約200人が参列した▼あの日から8カ月たつのに、被災地から見れば、国の復興対策は遅々として進んでいない。参列者の代表からは「復興の遅れの原因は政治の貧困にある。今、原ありせば、という思いだ」と憤る声も聞かれた

 ▼本格的な震災復興に向けた国の第3次補正予算は21日、ようやく成立した。岩手の被災地では、もう雪が舞っている。時期の遅さは今更言うまい。求められるのは、盛り込まれた復興事業のいち早い実行だ▼原は晩年、10代で古里を離れ、約50年他郷にある人生を振り返り「わけ入りし霞(かすみ)の奥も霞かな」と詠んだ。だが、国が描く復興が「霞の奥」のままでは困る。

2011年11月26日土曜日
2011.11.26 Sat l メディアリテラシー l top
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