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http://www.niigata-nippo.co.jp/nipposho/789.html

 「また、どうでもいいことでケンカした」「どうでもいいと思ってるところが、すでにダメ」-。大手住宅メーカーのテレビCMの一こまだ
▼リリー・フランキーさんと深津絵里さんが演ずる夫婦の「心の会話」がいい。ありふれた日常で起きた夫婦げんかを通して、2人の心のやり取りが描写されている。照れながらも互いを思いやり、支え合う優しさが伝わってくる
▼苦しいときやつらいとき、傍らで自分を支えてくれようとする人の存在に救われる。東日本大震災が起きた今年は、そんな思いを強くする。中越地震で被災した人々が、東北を思いやる言葉には、同じ被災者として支え合おうという意思を感じる
▼中越地震の追悼会場で、ゆらゆらと揺れるキャンドルの灯を見つめ、これまでの時の流れを回想しながら、東北の復興を願ういくつかの声を聞いた。当時の小学生は大学生になっていた。「今となれば、中越地震は悲しい思い出だけではない。災害で深まる絆もある」と前向きに語ってくれた
▼今、東北から大勢の復興事業関係者が、中越の各地を視察に訪れている。長岡市の山古志や川口、小千谷市などで、集団移転の実例を見学し、地域住民のつながりを保つための参考にするのが目的だ。ただ、避難先が広範囲にわたることなどから、思うようには進んでいないらしい
▼CMに登場する平穏な街並みや通勤風景が、3月11日の昼までは、東北の津々浦々にもあった。日常を失った人々を、7年を迎えた中越からどう支援していくのか。思いをめぐらせる日々である。
新潟日報2011年10月31日
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2011.10.31 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.at-s.com/news/detail/100072901.html

10月31日(月)(10/31 06:45)

 確か36億人と学校で習った記憶がある。ニュースを聞いて「いつの間にか倍に」と驚いた。世界の人口がきょう、70億人に達する

▼36億人だったのは1970年代初め。70年代半ばに40億人を超え、87年に50億人を突破した。60億人に達した99年から12年で、さらに10億人増えたことになる。国連の「世界人口白書」は、2050年には90億人を超える、と予測する

▼減少局面に入った日本とは逆に、世界の人口問題と言えば爆発的な人口増加に伴う諸課題を指す。貧困、食料の偏在、水不足、エネルギー資源の減少、環境の悪化。世界的に見られる都市への人口集中は、失業や衛生問題も深刻化させている

▼約10億人が日々を生きるのに必要な栄養を取れないでいるという。ほとんどがアジア太平洋地域とサハラ以南のアフリカに住む。一方で先進国では、余った食料を捨てている日常風景がある。カロリーベースの食料自給率が40%を切り、年間7兆円を超える農林水産物を輸入する日本も、相変わらず「飽食の国」である

▼途上国などが経済成長に伴って自国内の消費に回すため、将来は日本に食料を輸出してくれなくなる、との見方もある。焦点となっている環太平洋連携協定(TPP)参加のいかんにかかわらず、農林水産業の強化と自給率の向上は日本にとっても重要な問題だ。できるなら世界の食料危機に貢献するような視点も持ちたい

▼国連はきょう生まれた赤ちゃん全員を「70億人目」と見なす、という。世界で約21万人、日本で2900人、静岡県内では80人ほどが産声を上げる。「おめでとう。あなたの未来は輝いているよ」。心からそう言えるような世界を、私たちは残せるだろうか。

2011.10.31 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004586645.shtml

正平調
2011/10/31
呼び出し音の繰り返しに、またか、と思いながら受話器を置いた。3月にも宮城県の知人に電話がつながらず心配した。今度はタイ。バンコクに住む友人と連絡が付かない◆テレビに映る冠水した街並みに見覚えがあった。香菜(シャンツァイ)がてんこ盛りの麺を屋台で食べた。あの広場が水に漬かるとは想像もしなかった。都市化が進むバンコクは水害を克服したと思い込んでいた。けれども自然はままならない◆数年前に吉村昭氏のルポ「三陸海岸大津波」を読み、津波被害は抑え込めるとの印象を抱いた。明治から昭和まで三つの津波の惨状を克明に描いた末、それぞれの死者数が列挙される。2万6360人から2995人、そして105人に。被害は激減した◆「今の人たちは色々(いろいろ)な方法で十分警戒しているから、死ぬ人はめったにないと思う」。体験者の言葉に吉村氏は希望を託す。何度打ちのめされても再起した人々の苦闘を目の当たりにし、そう祈ったのではないか。しかし東日本大震災は起きた◆兵庫県が東南海・南海地震での新たな津波被害の想定を公表した。防潮堤が全く機能しないとの前提は少々荒っぽいが、浸水域の広さが目立つ。津波被害を軽視してきた自治体には想定外のことだ◆東日本の津波も、バンコクの洪水も、自然は想定のうちに収まらないことを突きつけた。県の被害想定の見直しを、「想定外」を言い訳にしない防災のきっかけにしたい。

2011.10.31 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111031_01.htm

東北宮城青森岩手秋田山形福島広域分野別河北春秋河北抄内外トップ主要社会政治・行政経済国際スポーツ文化・暮らしマーケット速報スポーツトップベガルタ仙台楽天イーグルス仙台89ERS高校野球東北スポーツ特集一覧3.11大震災大震災連載せんだい なう!いのちの地平ミニ統一選KDふらっとトップオピのおびかほくブログ動画・シネマ動画の辻シネマに包まれて暮らしトップ食WEB研究所マイベストプロ宮城河北Shufoo!情報誌河北ウイークリーPiatto就職・進学求人広告 Job探河北学びナビショッピング河北春秋 意表を突かれる快感、とでも言おうか。「障害者アート」と呼ばれる作品を見ると、いつも自分の世界観が揺さぶられ、驚きが感動になる。作品が発する生気に力づけられる▼先日、仙台市内で開かれた障害者アート展でもそうだった。「彼らにとってアートは生きている感覚が形になったもの、日常の営みそのものなのです」。展示に関わった美術家、中津川浩章さんの言葉にうなずかされる

 ▼埼玉県川口市にある障害者の工房でアートディレクターを務める人だ。15年来、障害者アートの魅力を発信してきた。大震災後は被災地を巡り、障害者に限らず、幼稚園や児童館でも創作のワークショップを続けている▼アートは人を開いていく方法だと中津川さんは言う。表現することで心を開く。人とつながる。そうして少しでも心が軽くなり、生きる感覚を大切にしてもらいたいと願う

 ▼それにしても、新たな日常を取り戻すにはどれだけの時間がかかるだろう。とりわけ、障害のある人たちは環境の変化が苦手だ。不自由な暮らしの中でさまざまな困難に遭い、つらい思いをしているに違いない▼再生に向かう地域社会は、障害のある人にも生きやすいものにしなければならない。彼、彼女たちのアートが見せてくれる多様な世界観を尊重できる私たちでありたい。

2011年10月31日月曜日

2011.10.31 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m10/fudo111031.htm

風 土 計

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2011.10.31

 盛岡市生まれで、5年前に亡くなった写真家渡辺克巳さんは新宿歌舞伎町で「流しの写真屋」と呼ばれた

▼高度経済成長が始まった1960年代、3枚200円でポートレートを撮影し、生計を立てた。ゲイにホステス、若者、そして寺山修司さんら。夜の歓楽街に集まった人々がカメラの前で気取ったポーズを見せる

▼盛岡一高定時制に通う傍ら毎日新聞の盛岡支局で補助員をし、写真と出合った。高校を卒業していったん国鉄に就職するものの、夢を捨てきれずに上京し、写真館で働く

▼新宿を中心に人間を撮り続け、82年インドに渡り、コルカタの路上生活者の中に。「日本で泣くようなことがあってもインドを見てしまえば、なんだ泣くことないんじゃないかという気がする」。41年10月17日生まれ、今年は生誕70年だ

▼記念の年に遺作を収めた写真集「新宿、インド、新宿」(ポット出版)が発刊された。新興国として破竹の勢いで発展を続けるインド。一方、大災害に見舞われ、岐路に立つ日本。写真集はなくしてしまった街角や人のぬくもりを今に伝える

▼「世の中に悪い人はいません。悲しい人がいるだけです」。渡辺さんが子どもたちに残した言葉だ。地震、津波に襲われた古里。流しの写真屋が今生きていたなら、どこで、誰にレンズを向けたのだろうか。

2011.10.31 Mon l メディアリテラシー l top
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