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http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20110930_01.htm

河北春秋 高校の運動部合宿で、仙台市内の校舎から荒浜まで走る恒例行事があった。かんかん照りの下、潮の香りがして緑濃い松林が近づけばゴールは間近だ。震災後、東京などにいる仲間から「荒浜はどうなった」と聞かれ、現実を伝えると皆押し黙る▼津波に家財をさらわれた沿岸部各地で、自治体による住民向けの街づくり説明会が始まり、移転方針が示されている。「先祖以来の土地に戻りたい」と年配者は思いをぶつける

 ▼恐ろしい体験をした子どもを持つ若夫婦は移転を望む。全ての人が納得する答えなど、ありはしない。自治体は、次の震災を考慮して新築を制限、集団移転を進めるところが多い▼憲法で保障されている個人の住まい選択の自由と、公共の福祉を優先して設ける建築制限をどうはかりに掛けるか。離れた見地から問うてみれば、議論が深まるかもしれない

 ▼「越鳥は南枝に巣くい、胡馬は北風にいななく」と中国の故事にある。南方の越から飛来する鳥は南向きの枝にすみ、北国生まれの馬は北風を慕う。在京の地方出身者も、東北人は東京駅から北、関西人は南の住宅をまず考えるという▼荒浜まで完走後、飛びついたアイスの味は忘れられない。生まれ育った人の古里への愛着はどれほどか。貞山堀近くにあった店の女性の笑顔がよみがえる。

2011年09月30日金曜日
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2011.09.30 Fri l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0930n.html

【編集日記】(9月30日付)

 日本は海洋国と言われる。だが、歴史的に見ればポルトガル人やスペイン人、あるいはイギリス人のように世界各地へ航海に出掛けることはほとんどなかった▼江戸時代にとられた鎖国政策も背景になっているという。だから日本で「海」といった場合は、海洋そのものを指すものではなく、海岸、または沿岸を意味することが多い(「海流の贈り物」中西弘樹・平凡社)▼そんな日本も長い海岸線を持つ。海を通じて南方や大陸からさまざまなものを受け入れてきたが、種子島に伝わった鉄砲の例のように漂流・漂着した人々も数多く、受け身という意味での「海洋国」だったという▼その沿岸にある東京電力福島第1原発事故で放射性物質を含む汚染水が大量に流出したが、実際は「4月1日から」とする東電発表より早い段階から漏れていた。流出量も推計で東電発表の3倍以上となることが研究機関の調査で分かった▼高濃度の放射性セシウム137などは海流の渦の影響で外洋にも運ばれたとみられている。汚染は魚や海藻類だけでない。海底の土壌からも高い数値の放射性物質が検出されている。漁を自粛したままの関係者にとってもつらい日々が続く▼今や日本は「漁業大国」だ。その上に、海外からも水産物を大量に輸入し、消費し続けている。海の汚染に対する責任は重くのしかかる。
 
  福島民友新聞
2011.09.30 Fri l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9893200&newsMode=article

あぶくま抄(9月30日) 
 10月4日から始まる「二本松のちょうちん祭り」は今春、県重要無形民俗文化財に指定された。伝統を継承し三日三晩、二本松市街を包む若者の熱気が認められた。震災で開催を危ぶむ声もあったが、地域の声が後押しした。
 同じく市内の若連が繰り広げる「針道のあばれ山車」と「小浜の紋付祭り」も八日から催される。いずれも江戸時代に凶作や疫病流行の際、復興を祈ったことが起源とされる。関係者は「今こそ先人と同様、逆境に負けず前に進もう」との思いを強くする。
 日本一を掲げていた「二本松の菊人形」は規模を縮小する。時代絵巻を見せていた人形の場面は減る。代わりに花の展示に工夫を凝らす。1年半をかけて準備した千輪咲きなど、菊作りに注ぐ人々の情熱を見てほしい-と入場無料にした。会場の県立霞ケ城公園では初の紅葉祭りが同時に開かれる。安達太良山の紅葉も見逃せない。足を延ばすのもいい。
 二本松の秋は1年で最も楽しみが多い。コメから検出された放射性物質が影を落としているが、元気を取り戻そうという気持ちは揺るぎない。街中で目に付く「がんばっぺ」「さすけねぞい」の、のぼりが市民の意気込みを示す。

2011.09.30 Fri l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m09/fudo110929.htm

風 土 計

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2011.9.29

 大リーグにはMVPに匹敵する名誉な賞がある。慈善活動に尽力した選手に贈られるロベルト・クレメンテ賞だ。この賞には巨大地震が関わっている

▼パイレーツ一筋で通したクレメンテは4度の首位打者を獲得、打率ベスト10には13度入るなど活躍した名選手。慈善事業に熱心で出身地のプエルトリコでは英雄として多くのファンから慕われた。しかし、悲劇が待っていた

▼1972年12月23日、ニカラグアで大地震が発生。彼と支援物資を乗せた飛行機は現地に向かったが、エンジントラブルを起こし、カリブ海に墜落。クレメンテは38歳の短い命を閉じた。大リーグ機構は彼の功績をたたえ、慈善活動を行った選手に贈っていたコミッショナー賞を改称した

▼東日本大震災では多くの選手が奉仕活動に取り組んでいる。「スポーツこころのプロジェクト 笑顔の教室」も、その一つ。先週から始まり、1回目は元サッカー日本代表のラモス瑠偉さんが大船渡市の蛸ノ浦小を訪れた

▼教室は本県など被災地6県、542の小学校を対象に、5年間続けられる息の長い事業だ。「なでしこジャパン」のメンバーら500人を超える「夢先生」が講師に登録している

▼憧れの選手と一緒に遊び、会話を交わす。一生の思い出として残るだろう。スポーツ選手にしかできない社会貢献もある。

2011.09.29 Thu l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0929n.html

【編集日記】(9月29日付)

 彦根藩主井伊直孝が世田谷の庵(あん)の前を通り掛かるとネコが前脚を挙げて招く。中に入った直孝は老僧の法談に感激し庵を藩の菩提寺(ぼだいじ)に、と決めた▼時は江戸初期のことで、庵は後の豪徳寺。福運を招いたネコの墓も寺の境内につくり弔うこととなった。これが豪徳寺の招き猫信仰の始まりとされる(菊地真・日本招猫倶楽部編「招き猫の文化誌」勉誠出版)▼起源は他にも諸説あるようだが、招き猫はひとえに縁起物として親しまれてきた。その招き猫の記念日がきょうらしい。「くる(9)ふ(2)く(9)」で「来る福、招き猫の日」と先の倶楽部が制定したといわれている▼一口に招き猫といっても、さまざまな形のものがある。右前脚を挙げているのは金運を、左前脚は人を招き入れる、との意味が込められているとか。金も人も、と両前脚を挙げた欲張りなネコも「いる」ようだ▼地震に津波、原発事故、さらには豪雨や台風と、これでもかこれでもかと「凶」ばかりが続く本県。次は何か、との心配が先に立ってしまうような状況だが、そろそろ「吉」や「福」がやってきてもいい頃合いだろう▼国内で有数の名刹(めいさつ)になった豪徳寺にあやかれるのならあやかりたいが、大それたぜいたくを求めるつもりはない。前脚をちょこんと挙げたネコに協力してもらって、本県を「3・11」以前の状態に戻したい。
 
  福島民友新聞
2011.09.29 Thu l メディアリテラシー l top
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