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http://yamagata-np.jp/danwa/index.php?par1=20110929.inc

▼▽東日本大震災の復旧が本格化し、復興の計画も具体化してきた。東北新幹線が正常化し、仙台空港も完全復旧した。津波で壊滅的な被害に遭遇したキリン仙台工場ではビールの仕込みを再開した。ようやくの感が強い。

▼▽大震災から半年余が経過し、沿岸部に堆積していたがれきもほとんど撤去された。復旧関連の事業も動き出して仙台周辺の幹線道路では慢性的に車の渋滞が続く。雑然とした状況はある意味で活気にも見える。こうした復旧・復興に向けた事業は5年間程度続くとみられる。

▼▽その一方、福島原発事故の収束や避難、風評被害の解消はなかなか見通せない。緊急時避難準備区域の5市町村が避難解除される予定だが、除染が未実施とあって容易には帰れない。放射性物質の影響を懸念し自主避難する福島県民は後を絶たず、風評被害も相変わらずだ。

▼▽大関昇進伝達の場で琴奨菊関は「万理一空」を誓った。剣豪宮本武蔵の「五輪書」から採った言葉で、目標を見失わず精進を続けるとの意味を込めた。被災者にこの言葉は酷だろうか。故郷に必ず帰る、仕事に就く、地域を復興させるという目標、希望を持ち続けてほしい。

(2011/09/29付)
2011.09.29 Thu l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004507734.shtml

正平調
2011/09/28
12ページの書類のうち、9ページ分が黒く塗りつぶされていた。読み取れたのは十数行の文字だけだという。都合の悪い部分を隠す意図は明らかだが、これでは事実上、全部が秘密扱いである◆先日、東京電力が衆院特別委員会に提出した福島第1原発の「事故時運転操作手順書」は異様だった。「事故原因の検証に必要」との国会の求めに対する答えが、真っ黒の書類だ。木で鼻をくくる対応とはこのことだろう◆「書類があるということ以外、何も分からない」。議員たちはこう批判した。歌舞伎の「勧進帳」では弁慶が白紙の巻物を広げ、寄付の依頼文をその場で作って読み上げる場面がある。しかし何が書かれた書類かもとより分からない状態では、弁慶も言葉に詰まるに違いない◆さすがにまずいと思ったのか、東電はきのうになって黒塗りなしの書類を提出する考えを示した。経済産業省原子力安全・保安院の命令に応じた形だが、一歩踏み出すのにどれだけ手間をかけるのか◆逆に東電が被災者向けに作成した個人向け賠償請求書類は計200ページ以上もある。法律用語が並び、弁護士の枝野経産相もあぜんとするほどという。被災者にどう対処しろというのだろう◆情報を隠すかと思えば過剰に言葉を連ねる。誠実。丁寧。どうやら東電の辞書にはそうした言葉がないらしい。あまりひどいと弁慶も業を煮やし、手に持ったつえを懲らしめに振り上げるかもしれない。

2011.09.28 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0928n.html

 【編集日記】(9月28日付)

 福島と青森を結ぶ奥羽線が全線開通したのは、今から106年前の1905(明治38)年9月のこと。奥羽山脈を越える鉄道の中で最も早かった▼山形産業遺産シンポジウム実行委員会「シンポジウム『山形の産業遺産を考える』第1回報告論文集」によると、最も難航したのは19カ所のトンネルと20カ所の橋を設けた福島―米沢(山形県)間。特に板谷峠トンネル工事は地形の影響などで完成までに長い時間を要したという▼板谷峠で特筆されるのは折り返しの線路を利用して急勾配の山地を上り下りしたスイッチバック方式だ。赤岩、板谷、峠、大沢の4駅に設けられ、90年に廃止された。板谷峠のスイッチバック遺構は経済産業省の「近代化産業遺産群続33」の一つに選ばれている▼安定した輸送力の確保も重要な技術課題だった。開業当初の蒸気機関車は力が足りず、線路を逆行した事故も起きた。機関車にも改良が加えられ、電化に伴って性能が向上した電気機関車が投入されてきた▼鉄道の歩みには自然災害との闘いがつきまとう。地震や津波、豪雨などで奥羽線をはじめ県内を走る路線も大きな被害を受けた。常磐線、磐越西線、只見線は今も一部区間が不通になっている▼復旧、復興までに坂道もあろう。蒸気機関車は「なんだ坂、こんな坂」と上った。峠を越せれば希望が見えてくる。
 
  福島民友新聞
2011.09.28 Wed l メディアリテラシー l top