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http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20120104_01.htm

河北春秋


 30年以上たった今も、鮮やかに思い浮かべることができる。1981年1月、国立競技場であったラグビー日本選手権の決勝戦、新日鉄釜石と同志社大の試合で、釜石市から来た応援団が振っていた大漁旗だ▼新春の澄み渡った空の下、満員の観客の頭上で赤や緑の色彩が舞い続けた。その光景は初めて生で見るラグビーの試合とともに、深く脳裏に刻まれた

 ▼新日鉄釜石ラグビー部は78年度から日本選手権7連覇を達成し「北の鉄人」の異名をとった。だが、その後成績は低迷、2001年にはクラブチーム「釜石シーウェイブス」となった▼運営母体やチーム名が変わっても、大漁旗が観客席から姿を消すことはなかった。東日本大震災で釜石が大きな被害を受けた後の試合でも、はためいた。シーウェイブスも応援の大漁旗も、釜石の人にとって掛け替えのない「宝」であり続けた

 ▼被災地にとって、ラグビーはある意味象徴的な競技かもしれない。力を合わせて組むスクラムやパスをつなぎながら相手ゴールを目指す姿が、復興へ向けて進む被災者のそれと重なる▼ことし1年、釜石再生の道のりは決して平たんではないだろう。壁が立ちはだかった時、シーウェイブスと応援の大漁旗は市民に有形無形の力を与えてくれるに違いない。合言葉は「前へ、前へ」。

2012年01月04日水曜日
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2012.01.04 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/y2012/m01/fudo120104.htm

風 土 計

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2012.1.4

 1月の和風月名は「睦月」だ。家族や親類縁者が一堂に会し、仲むつまじく過ごす月という意味が、これほど心に染みる正月もない

▼和風月名は、旧暦に基づく各月の呼称。新暦とは、1~2カ月のずれがある。例えば5番目の「皐月」は「五月」と書いても「さつき」だが、本来は6月から7月に至る梅雨時。「五月晴れ」のもともとの意味は、梅雨の晴れ間だという

▼盛夏の8月が、木の葉が落ちるころを意味する「葉月」と呼ばれるのも、そのせいだ。同様に「睦月」も今の1月とは重ならない。元は2月半ばから3月半ばごろ。昨年3月11日の東日本大震災の発災は、旧暦でいう「睦月」に当たる

▼自民党時代の終わりの始まりとなった小泉政権の5年半は、個人主義の暗部を際立たせた。流行語にもなった「自己責任」には冷たいイメージがつきまとう。そうした風潮は、かなり前から庶民の日常にはびこっていたような気がする

▼「小泉流」は、社会の様相が許容したという側面は否定できない。近所はおろか、近親者でさえ疎遠になりがちな世情のうつろさ、そして絆の尊さに3・11以降、われわれは気づかされた

▼三が日が明け、2012年の日本が動き出す。一人一人に降りかかる現実は厳しいが、決して独りではない。人を信じ、明日を信じて新たな一歩を踏み出そう。

2012.01.04 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/0104n.html

【編集日記】(1月4日付)

 眠っているときに、覚めているときと同じように、さまざまなものごとを見ることが夢だ。人々は、その不思議な現象から種々の意味を読み取ろうとしてきた▼そのためだろうか。言葉の使い方もいろいろだ。迷い、はかないことを比喩的に表現するときにも使われるが、一般には「将来、実現させたいと思っている事柄。将来の希望。思いえがく将来の設計」(「日本国語大辞典」小学館)だろう▼正月二日の夜に見るのが初夢とされているが、大みそかの夜とされた時代もあったらしい。江戸時代の前期あたりまでは立春の明け方に見る夢を初夢といったそうだ。今もこの風習が残っている地域もあるという▼今年をどんな一年にするか。そんな願いも託す初夢だが、昨年の東日本大震災と原発事故が県民の暮らしに影を落としたまま年が明けた。想像もしなかった悪夢のような大災害だ。9カ月以上も過ぎたのに本格的な復興というにはほど遠い▼住み慣れたふるさとからの避難を強いられ、つらい気持ちで新しい年を迎えている人たちも少なくない。思い描く夢は、元の暮らしを再び取り戻すことだろう▼長い道のりになるかもしれない。ときには弱気になることがあるかもしれないが故郷再生への夢は失わないようにしたい。「ゆめゆめ、あきらめることなく」力合わせて困難を乗り越えたい。
 
  福島民友新聞
2012.01.04 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9920648&newsMode=article


あぶくま抄(1月4日) 



 〈個人は3日で飽き、3カ月で冷め、3年で忘れる-〉。原発事故の政府調査・検証委員長を務める畑村洋太郎東大名誉教授は「人間は非常に忘れっぽい生き物」とし、記憶の消え方に「3」の法則性があると説く。
 自らの失敗や被災の当事者になった際には多少延びるにせよ、時間とともに薄れていく。逆に、つらい体験や悲しい出来事を全て覚えていては、次の一歩が踏み出せなくなる。「前向きに生きるための一つの知恵」と言える(講談社現代新書「未曾有と想定外」)。
 〈組織は30年で記憶が途絶え、地域は60年で忘れる。300年すると社会で「なかったこと」として扱われ、1200年たつと、起こったことを知らなくなる〉。世の中にも人の性質は反映する。津波に何度も見舞われた三陸地方には、戒めを記した文書や碑があったのだが…。まして1200年以上前に本県を襲った大津波は、発生自体が一般には知られていなかった。
 大震災でも、関心や支援の「風化」が懸念され始めた。災害の事実や教訓をどう伝え、残していくか。復興の大きな課題でもある。まずは、節目節目に語り継ぎ、書き留めていきたい。きょう4日で発生から300日。

2012.01.04 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.niigata-nippo.co.jp/nipposho/

 大晦日(みそか)である。2011年のカレンダーは用済みだ。いつもの年なら外して捨てるのだが、今年は1部だけ残すことにした。忘れてはいけない多くの日々が刻まれているからだ
▼人の記憶は頼りにならないと先日も書いた。忘れないためには日記が最適だが、カレンダーや手帳も頼りになる。地図も同様だ。大震災の後に発刊された被災地の地図は役立った。浸水地域や不通の道路、鉄道が一目で分かる。現地で広げながら歩いた。今、ページを繰るとその時の光景が目に浮かぶ
▼今年ほど東日本の地図を目にすることはなかった。福島原発を中心にした同心円図に加えて、虫食いの葉のような形が登場した。放射能の汚染度で色分けされた区域の呼び方も度々変わった。「帰還困難区域」の名称を見て、日本の国土が狭くなると感じたのは当方だけではなさそうだ
▼「戦争でもないのにあれだけの領土を失うことは大変なことだ」と憤る人がいた。確かに、一般国民が足を踏み入れることができなくなるのであれば、事実上の「領土喪失」といえる
▼沖縄の米軍基地も日本の領土だが、普通の市民は立ち入れない。敗戦から66年。「戦争の結果だから」と受け入れるにはあまりに長く、重い。環境影響評価書の送付をめぐるドタバタは、沖縄の怒りを増幅させた。列島がジグソーパズルなら、福島や沖縄で、大きなピースが幾つも欠けている
▼住む場所や安心を奪われたままの越年では心も晴れない。せめて来年は、良きことの記念のためにカレンダーを捨てられなくなる年にしたい。
新潟日報2011年12月31日
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.at-s.com/news/detail/100088729.html

12月31日(土)(12/31 06:45)



 2011年は厄災の年、分岐点の年、革命の年、追悼の年、可能性の年、激励の年―。インターネット検索のグーグルが作った映像はこんな文章が冒頭を飾る。検索された単語から1年を振り返るサービスのCM。動画サイトに掲載され、既に世界で400万回以上視聴された

▼3分弱のCMは東日本大震災の津波の映像で始まる。全世界で今年最も検索された単語の第8位は「東京電力」、ニュース部門第1位は「Fukushima(福島)」という。被災地では多くの人が生活を立て直すあてもなく年を越す

▼CMには「なでしこジャパン」も取り上げられた。決勝での沢穂希選手の同点ゴール以上に忘れられない場面がある。PK戦の死闘の末に優勝を決めた直後。宮間あや選手は歓喜の輪に加わるより先に、対戦相手の米国イレブンに歩み寄った

▼背伸びして大柄な米国選手一人一人と抱き合い、健闘をたたえ合う。米国の主力ワンバック選手も敗戦が決まった直後に沢選手に駆け寄り、「あなたを誇りに思うわ」と声を掛けている

▼デフレ脱却、雇用創造、暮らしの安全網の再構築、政治への信頼回復―。震災だけではない。年初に挙がっていた課題の多くも解決の糸口すらつかめないまま。重い気分で大みそかを迎えたこの1年に、宮間選手らの爽やかさは救いだった

▼「自分の中にある人格という竜を養って」。国旗に竜が描かれたブータンの若き国王は、被災地の小学生にこう語り掛けた。あすからは辰[たつ]年。立派な竜が養えるよう、気持ちも新たに一歩でも前に進める年にしたい。
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004715501.shtml


正平調


2011/12/31




「今年の漢字」には「絆」が選ばれ、流行語大賞は「なでしこジャパン」だった。そこには何とか希望を見いだしたいとの思いが反映されている◆1年のニュースを振り返ると耳慣れない言葉が多かったと感じる。「国難」とされる災害の大きさゆえだろう。印象に残るのは「てんでんこ」という東北弁。人に構わずてんでんばらばらに逃げろ。津波の過酷さを物語る◆被害は広範囲に及び「帰宅難民」も生まれた。課題は山積みだ。復興計画はまとまってきたが、「高台移転」は被災者に厳しい選択を迫る。「復興特区」などは機能するだろうか◆チェルノブイリ事故と同じ最悪の「レベル7」とされた原発事故は特に専門用語が目立つ。原子炉が冷却できなくなって「メルトダウン(炉心溶融)」が起こり「水素爆発」で放射性セシウムが放出された。「計画停電」が実施され、関西などでも「節電」に努めた◆野田佳彦首相は「冷温停止状態」に入ったとして事故の「収束」を宣言した。だが、「除染」も続き、道のりは遠い。一方、太陽光や風力など「再生可能エネルギー」が注目された◆菅直人前首相の「この顔を見たくなければ(再生エネルギー特別措置)法案を通した方がいい」の発言を思い出す。未曽有の災害でも与野党は政争に明け暮れた。「ドジョウ宰相」の「安全運転」も怪しくなってきた。除夜の鐘の音とともにこの不安感が消えてほしいと願う。
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111231_01.htm

河北春秋


 師走の一日、仙台市近郊を巡った。高層ビルが林立する中心部を遠望すると、砂漠に浮かぶ要塞(ようさい)都市のように見える。方向感が失われるのは、視界が開け過ぎているからだ▼名取市閖上の日和山。供養塔の3文字にハッとさせられた。「横死者」。そうなのだ。2万に及ばんとする非業の死を遂げた人たちの無念を思えば、魂はいまだ鎮まっていない

 ▼「私、私たちはここ荒浜に住み続けたいです」。誰が書いたのだろう、深沼海水浴場の入り口にベニヤ板が掲げてあった。生き永らえた者もまた、着地点を求めてさまよう▼蒲生海岸は少年時代、ハゼ釣りに興じた場所だ。自然保護団体「蒲生を守る会」の観察会に参加した初夏が思い出される。見慣れた養魚場も亭々とした松並木も失われ、寄る辺無さが寒風に募る

 ▼環境省東北地方環境事務所の自然保護管が観察に当たっていた。一帯はシギ、チドリなど多くの野鳥が集まる場所だった。「コクガン(国天然記念物)を9羽、確認できました」。干潟復活には長い年月を要しようが、光明には違いない▼あまりにも多くのものが奪われた2011年。来し方を振り返るにはつら過ぎる年の瀬である。それでも悲観を戒め、少しばかりの楽観を胸に新年を迎えたいと思う。一陽来復。来る年に幸多かれと、夕凪(ゆうなぎ)に祈る。

2011年12月31日土曜日
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m12/fudo111231.htm

風 土 計

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2011.12.31

 悲しみが脳裏から消えることのない2011年が暮れる。あの日から数えて296日目。きょうは大みそか

▼今夜は各地の寺院で除夜の鐘が突かれる。人間の修行の道を妨げる百八つの煩悩を一つ一つ消し、新年を迎える心身を清めるために突かれる鐘だが、今年は一つ一つの音の余韻に静かに耳を傾けたい

▼世界遺産に登録された平泉町の中尊寺では今夜、特別の場合にしか使われることのない古い梵鐘(ぼんしょう)の音が響く。除夜に突かれるのは今世紀に入って2度目。1度目は米中枢同時多発テロで多くの人が犠牲になった01年だった

▼古い梵鐘には平泉藤原氏の初代清衡公が中尊寺建立にかけた願いがこもる。「一音(いっとん)のおよぶ所、千界を限らず抜苦与楽、あまねく皆平等なり」「鐘声の地を動かすごとに冤霊(えんれい)をして浄刹(じょうさつ)に導かしめん」

▼現代語にすれば「鐘の音の及ぶところ、敵味方の区別なく犠牲者を弔い、鳥も獣もすべての霊を浄土に導きたい」という意味か。前九年・後三年の戦いで父や妻子を失う悲しみを背負って清衡公が具現した願いは、800年以上の歳月を経て人類共通の宝となった

▼百八つには四苦八苦、つまり四と九をかけた三十六と、八と九をかけた七十二を足す考え方もある。被災者の深い悲しみと苦しみが少しでも癒やされて希望の光が見える新年を心から祈りたい。

2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1231n.html

【編集日記】(12月31日付)

 月並みな表現だが、ことしも残すところ今日だけ。しかし「あの日」以来、県民は当たり前な言葉では言い尽くせない困難な9カ月を過ごしてきた▼家族や友人らの尊い命が失われ、原発事故が追い打ちをかけて生活に深刻な影を落としている。古里を離れるつらい選択をした人たちも少なくない。たくさんの別れや悲しみは明日の社会の在り方を問い続けている▼同時に多くの支援や激励が被災者に勇気や希望を与え、友情の絆を育んだことも特筆したい。自衛隊や消防、警察の献身的な活動にも心から感謝しよう。警察官は今も厳寒の警戒区域に立ち、消防とともに30日も行方不明者の捜索を行った▼年の終わりに明確にしなければ胸のつかえが下りないことがある。まずは原発事故により県民全てが被害者になったことだ。それなのに実態は反映されていない。政府が賠償指針で対象市町村を線引きしたことは典型例。指針は直ちに見直すべきだ▼官邸目線もごめんだ。政府は原発事故の収束宣言を出したが、肝心の原子炉内の状態が確認できないのになぜ収束なのかも理解に苦しむ。放射線量への不安解消なしに生活の再生もないことを野田首相は本当にご存じか▼国会議員も国難のさなかにあることを忘れていないか。なすべきことは対立でなく復興の加速のはず。その先に希望が見えてくる。
 
  福島民友新聞
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9920104&newsMode=article


あぶくま抄(12月31日)  



 激動の一年が幕を閉じる。大みそか恒例のNHK紅白歌合戦は今年、「あしたを歌おう。」をテーマにする。被災地の復興を願うメッセージが全国へ響く。
 猪苗代湖ズは本県応援ソング「I love you&I need youふくしま」を歌う。県民に勇気と希望を与えた9月の「LIVE福島 風とロックSUPER野馬追」のステージを再現する。「忘れないということを伝えられるんじゃないかな」「全国の人に古里を思い出してもらえたら」。震災と原発事故から9カ月余が過ぎ、風化が心配される中、本県出身の4人は被災地に寄り添う。
 62回目を迎える紅白の初回放送は昭和26(1951)年だ。ラジオから流れる歌声は、戦後の復興に立ち向かう国民を元気づけた。♪なぐさめ、はげまし長崎の ああ長崎の鐘が鳴る-。故藤山一郎さんが白組のトリを務め、原爆犠牲者の鎮魂歌「長崎の鐘」を歌った。当時は正月の放送だったが、テレビ中継開始を機に年越し番組として定着したという。
 歌声は被災地に勇気と希望を運ぶ。悲しみや苦しみを乗り越え、新しい年に一歩を踏みだそう。♪明日から何かが始まるよ ステキな事だよ-。
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://yamagata-np.jp/danwa/index.php?par1=20111231.inc

▼▽きょうはシンデレラデーとも呼ばれている。1年で最も慌ただしい日だから、午前0時までに帰らなければならないシンデレラのように、一番夜の時間が気になる日という。大晦日(みそか)に門限という家庭はないと思うが…。

▼▽同じ「きょう」と「あす」でも、大晦日から元日へと移り行く時だけは特別な思いが去来する。暦の上で大きな節目になるからだろうが、しみじみと感じるのは、カレンダーを掛け替える瞬間かもしれない。その前に、わが家恒例の一仕事。年越しそばの用意が待っている。

▼▽食べる習慣は江戸時代中期から始まったらしい。金銀細工師が金粉を集めるために、そば粉を使用したことから「金を集める」縁起物。薬味のネギは「ねぎらい祈る」。地域によって違いはあるが年を越す前に食べきらないと来年の金運に恵まれないというから、残さずに。

▼▽「細く長く達者に暮らせる」ことを願いながら食べるのもいいが、今年1年を振り返るのも意義あること。「一日もおろそかならず古暦」(高浜虚子)のように多くの体験を無にせず新年に生かしたい。2011年を末長く、そばに置いて。どうぞ良い年をお迎えください。

(2011/12/31付)
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.sakigake.jp/p/column/hokuto.jsp?kc=20111231ax

北斗星(12月31日付)
 大みそか。昔話の「かさじぞう」が思い浮かぶ。正月の餅を買うため笠(かさ)を売りに行ったおじいさん。笠は売れず、帰る途中、雪の積もった地蔵にかぶせてあげた。その夜、地蔵が餅を届けに来て、貧しい老夫婦は無事に年を越せたという物語だ

▼昔話には困っている人や動物を助けて恩返しを受ける物語が多い。昭和女子大学長の坂東眞理子さんがある雑誌で、そんな「恩返し」に代わる「恩渡し」という新しい考え方を紹介していた

▼米国留学から帰国するため、お世話になった一家にお礼を述べた際、その家の主婦からこう言われた。「あなたが何か自分ができるときに、できることを誰かにしてあげて。私に直接返してくれる必要はないのよ」

▼坂東さんは、人から受けた恩を誰かに渡す「恩渡し」だと思ったという。一対一の恩返しにこだわらず、助けが必要な人に、自分ができることで手助けをする。何と素敵な言葉だろう

▼東日本大震災では、日本中に善意の輪が広がり、互いに支え合い、結ばれる「絆」の大切さを実感させられた。当たり前に暮らせることへの感謝の気持ちが、義援金やボランティアへとつながった。それは文字通り「恩渡し」だった

▼誰かの世話になり、誰かに支えられ生きている私たち。恩渡しの機会はいつも身の回りにある。坂東さんはこうも語る。「恩渡しの波がネットワーク全体に広がったとき、人と人とが強い絆で結ばれた、新しい社会が生まれる」。新年がそんな年であればと願う。

(2011/12/31 付)
2011.12.31 Sat l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004713993.shtml


正平調


2011/12/30




「人の命は地球より重い」という。「命は鴻(こう)毛(もう)より軽し」という故事成語もある。人の命は重いのか、軽いのか。その問いかけが、ことのほかこの年末はずしりと響く◆人の命が何より重いのは、言うまでもない。東日本大震災では1万6千人近い命が失われた。不明者を合わせれば2万人に迫る。この人たちは、なぜ犠牲にならねばならなかったのか。その答えをかき消すようにして、被災地で雪が舞う◆一度きりの人生など、重さのないむなしいものだ。チェコ生まれの作家ミラン・クンデラ氏は小説「存在の耐えられない軽さ」の中でそう書いた。チェコには旧ソ連の厳しい弾圧にあえぎ、人間が軽く扱われた歴史がある◆小説に登場する男女は、求め合いながらも裏切り、裏切られる。自分の存在は重いのか、軽いのか。傷つけ合うのは人の悲しい性(さが)で、主人公はせめて愛する人にとって重い存在でありたいと願う◆そもそも、この宇宙に重さはなかった。物理学ではそう考える。自由に飛び回っていた素粒子がある時、ヒッグス粒子という別の素粒子の抵抗を受ける。その瞬間に重さが生まれた。異なるもの同士の出合いがなければ重さのある世界は存在しなかった◆人間も他者との出会いを通して自分や他人の重さを知る。自然の前では誰も小さな存在だが、支え合えば少しは重く、強くなれる。身を包む師走の寒気を思いやりの素粒子でいっぱいに満たしたい。
2011.12.30 Fri l メディアリテラシー l top
http://www.at-s.com/news/detail/100088192.html

12月28日(水)(12/28 07:30)



 手ぐすね引く質問の主にいかに言質を取られないようにするか。そこに全神経を集中して答弁するのは、大臣や官僚の“さが”と言ってもいい。誠実さや真実は引っ込み、あいまいさやごまかしがまかり通る。保身の術は今も昔も変わらないだろう

▼ずいぶん前になるが、官僚が自らの経験を基に霞が関の裏側の実態を描いた「お役所の掟(おきて)」(講談社)という本を本欄で取りあげたことがある。国会答弁の手引として官僚仲間の間に出回っていた「適切な言葉」がなかなか面白い。あらためて紹介する

▼新たな施策などについて「検討する」は実際には何もしないことで、「配慮する」は机に積んでおくことだそうだ。明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけておきたい。そんなときは「鋭意」という言葉を加える

▼そういえば、福島第1原発事故の直後、当時の枝野幸男官房長官らが記者会見で連発した「直ちに」という発言はお役所言葉と言うにふさわしかった。事故調査・検証委は案の定、中間報告で「あいまいで分かりにくい」と批判した

▼毎時30マイクロシーベルト以上の放射線量が観測された際、「屋外活動しても直ちに人体に影響を及ぼす数値ではない」。食品から暫定基準値を超える放射性物質が検出されたときも、同じように説明した

▼「直ちに影響ない」と言うのは長期的には影響があるということか、それとも心配する必要はないということか、分からない。官僚がつくりそうな玉虫色で都合のいい言葉だが、結果として不信感を招いた。都合のいい言葉が心に響くことはない。
2011.12.28 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004710602.shtml


正平調


2011/12/28




失敗の第一の原因は「無知」だと、失敗学の権威である畑村洋太郎東大名誉教授は指摘する。知識の不足だけではない。教訓を伝える伝承を無視するような態度も「無知」に含まれる◆その考えに立てば、福島第1原発の事故を招いた最大の原因こそ「無知」だった。畑村さんが委員長を務める事故調査・検証委員会の中間報告は、「極めて遺憾」などと東電と国を批判している◆原子炉を冷却する非常用復水器は、電源が全て失われると停止する。驚くことに、その仕組みを現場がよく知らなかった。貞観(じょうがん)津波の研究などを基に試算された15メートルを超える津波の可能性も、「根拠がない」と無視された。いずれもその気になれば対応できた事柄である◆畑村さんは失敗の原因を全部で10に分類する。放射性物質の拡散予測を公表せず住民を被ばくさせた事態は「誤判断」、首相官邸と省庁幹部、東電などで情報共有できなかった点は「組織運営不良」に当たる。「無知」の上にこうした失敗がドミノ倒しで重なった◆最も罪深いのは、過酷事故や複合災害を想定の外に置いた「価値観不良」だろう。これほどの大事故は起こらないと過信し、安全対策を二の次にした。何が大切かという意識が、社会とはかけ離れていたようだ◆オオカミなんか来ない。そう断言していた「安全神話」は崩れ去った。失敗をとことん肝に銘じないと、「無知」の罪をさらに重ねることになる。
2011.12.28 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m12/fudo111227.htm

風 土 計

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2011.12.27

 雲の間から薄日は差しているものの、氷点下の浜風が肌に痛い。東日本大震災の被災から立ち直り、7月に再開した八戸市・館鼻岸壁の日曜朝市は25日が今年最後の通常営業で、にぎわいを見せた

▼「加盟している全国朝市サミットをはじめ、多くの仲間から励ましを受けて過ごした半年だった。来年も頑張るぞという気力をもらった」と湊日曜朝市会の上村隆雄理事長(58)。今年の漢字「絆」を実感した6カ月を振り返る

▼おにぎりやパンを販売している八戸市の浜谷春勝さん(66)は「とにかく、岸壁に活気が戻って良かった。客との会話が何よりの活力源」と、ほっとした様子で客の応対に忙しい

▼岩手からの参加も多い。魚介・海藻類を扱って5年目になる洋野町の南光子さん(70)は「(津波被害で)ワカメ、コンブの入荷が少なくて大変な年だった。景気もいまひとつという感じ」と来年の回復に期待する

▼久慈市の碁石武さん(51)は豆腐田楽や総菜などを販売して6年。「8月から朝市に復帰したが、待っていたという常連客が大勢来てくれて感激した」と7年目の営業に向けて気を引き締めていた

▼岸壁の朝市は来年3月中旬まで休みに入るが、29、30日に臨時営業する。年越し用品をこれから準備するという方は、日の出とともに開店しているのでどうぞお越しを。

2011.12.27 Tue l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1227n.html

【編集日記】(12月27日付)

 年の瀬は月日の過ぎゆく早さを感じさせる。それはまた亡き人の記憶が胸をかすめるときでもあるだろう▼今年は特にその思いが強くなる。東日本大震災では地震と津波で、多くの命が一瞬にして奪われてしまった。まだ、遺族の元に帰ることのできない犠牲者も少なくない。残された人にとってはつらい暮れでもある▼一言を発する間もなく、たとえ呼び掛けたとしても伝えるすべもないまま永遠の別れを余儀なくされてしまったとしたら無念としかいいようがない。在りし日の記憶をたどりながら言い残したかった言葉を探そうとしている人もいるだろう▼「今はただ、感覚なき指先に念力をこめて黙々と終日縄なうばかりなり。今日も明日も、また来る日も、指先に怨念こめて…」。会津藩士の子として逆境に耐え、やがては陸軍大将となった柴五郎が書き残した言葉だ(石光真人編著「ある明治人の記録」中公新書)▼明治維新で朝敵の汚名を着せられた会津藩は下北半島への移住を強いられ、飢えと寒さに苦しんだ。「死ぬな、死んではならぬぞ、耐えてあらば、いつかは春も来たるものぞ。耐え抜け生きてあれよ」と、まだ少年ながらも自らを叱咤(しった)した▼亡き人の記憶をたどれば「入魂」の一言が見つかるかもしれない。残された人たちを勇気づけたり、新たな指針となることもあるだろう。
 
  福島民友新聞
2011.12.27 Tue l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9919012&newsMode=article


あぶくま抄(12月26日) 



 7年前のきょう、大津波がインド洋沿岸12カ国を襲った。スマトラ沖地震だ。死者は22万人に上る。会津若松市出身の女性を含む多くの日本人観光客も犠牲となった。史上最悪の津波災害として記憶に新しい。
 突然の大波邦人襲う、観光客パニック状態…。当時の本紙が現地の様子を伝える。津波警報さえなく、気付いた時には手遅れだった。助かった人は屋根の上やホテルなどに夢中で駆け上がり、辛うじて難を逃れた。ココヤシの上に必死にしがみつき、一昼夜を経て救助された少女もいた。
 「早期避難に勝る対策なし」。当時、現地調査をした防災・危機管理アドバイザーの山村武彦さんは説く。遠くよりも高く、できるだけ早く高台に逃れるのが勝ち。渋滞を避けるため、車はなるべく使わない。たどり着けそうになければ、近くのビルの4階以上に避難する-。大波から身を守るには、日頃から高所を押さえておくことが肝要だ。
 震災による県内の死者は1900人を超す。特に沿岸部に集中し、大多数は津波の犠牲になったとみられる。「スマトラの悲劇」の教訓は生かされたのか、尊い命を救えなかったのか-。悔恨の念を抱かざるを得ない。

2011.12.27 Tue l メディアリテラシー l top
http://yamagata-np.jp/danwa/index.php?par1=20111227.inc


▼▽ホワイトクリスマスが終わったと思ったら商店街は一斉に正月に向けた準備が本格化。ショーウインドーの飾り付けも一新。例年の事ながらその変身ぶりには驚かされる。そして歳末の週明けは除排雪でスタートした。

▼▽きのうは県内各地で積雪が増え、自宅の除雪が済んだ後、ノロノロ運転して到着した勤務先でも除雪という人が多かった。山形市内で30センチを超え、最北地域では1メートルに達し、列車ダイヤも終日乱れた。休みなく降る雪に恨み言も言いたくなるというのが正直な気持ちだろう。

▼▽この降雪に驚いているのが福島第1原発事故の影響で県内に避難している人たち。事前に受け入れ自治体などが雪国で暮らすための留意事項などを書いた冊子を配布したり、雪道での運転講習などを実施したりしているが、実体験してみると想像以上のケースも多いようだ。

▼▽米沢市内では福島からの避難者間で雪対策のため自治会の組織化が進んでいる。避難者同士、隣近所で協力して乗り切ろうという「共助」の気持ちからだという。多少雪に慣れている県民、市民が出張って共助の輪を拡大できないか。公助の後押しがあれば、さらに広がる。

(2011/12/27付)

2011.12.27 Tue l メディアリテラシー l top
http://www.kobe-np.co.jp/seihei/0004699343.shtml


正平調


2011/12/22




冬の晴れた日は厚着をして散歩に出掛けたくなる。帽子にマフラー、手袋を着けて、さあ出発。冷たい風が吹いたってかまわない◆葉が落ちた公園の樹木を見上げる。ケヤキ、イチョウ、プラタナス。校庭にあったのは何の木だったか。「今も目を空へ空へと冬欅(けやき)」(加藤楸邨)。懐かしい気持ちになって冬空を見ながら歩いていると、石につまずき転びそうになった◆散歩から戻って一息ついたら、温かいものが食べたくなる。きょうは冬至。懐かしいといえば、冬至の日、近所の中国人のおばさんが湯気の上がる水餃子(ぎょーざ)を振る舞ってくれた思い出がある。中国では冬至にワンタンや餃子を食べると教えてくれた。その後、「冬至?飩(わんたん)、夏至索?(そうめん)」という中国の言葉を知った◆おばさんの餃子には細かく刻んだニラ、キャベツ、セロリやひき肉が詰まっていた。韓国では豆腐やモヤシを入れるそうだ。モンゴルのバンシ、インドのサモサ、トルコのマントゥなど、各地に同じような料理がある◆冬至の日、日本では小豆がゆやカボチャ、コンニャクなどを食べる。そして、ゆず湯に入ってほっこり温まる。いずれも古い信仰だったり、縁起かつぎだったりするが、この日を境に陽がきざす「一陽来復」にあやかりたい思いは同じだ◆陰と陽が交代する分岐点とされる冬至は、未来へと希望をつなぐ日でもある。東北地方の方角を向いて「一陽来復」の四文字をかみしめる。
2011.12.22 Thu l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1221n.html

【編集日記】(12月21日付)

 問うことは、知ることの始まりという。人類は恐らく、この世に出現したときから、あらゆるものについて問い、その答えを見つけようとして、長い歴史を刻んできたともいえるだろう▼わたしたちが、この世に存在しているのはなぜなのか、という問いも人類にとっては難問ともいえる根源的なテーマだ。言い換えるなら、この広い宇宙の成り立ちへの問いかけでもある▼その謎に挑戦するために1周27キロという巨大なトンネルを持つ観測装置を使って実験を続けた結果、宇宙の始まりの解明に迫る画期的な発見があったという。東京大などが参加している国際研究チームが発表した▼存在が濃厚になったのは宇宙を形成するという最も基本的な粒子。正式に確認されれば、生命の起源の解明にも道を開く可能性があるとされるが、県民にとっては今すぐに知らなければならないことが足元にある▼政府は福島第1原発について原子炉の「冷温停止状態」と発表した。だが、原子炉は水素爆発で壊れ、格納容器内の様子にしても測定データによる推定にすぎない。今後も、何が起こるかを予測することは難しい▼無知の知、といえばソクラテス。「知らないことを知っていると思い込んでいる人」より「知らないことを自覚している方が賢い」と説いた。まさか「知っていても知らせず」ではあるまい。
 
  福島民友新聞
2011.12.22 Thu l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9917580&newsMode=article


あぶくま抄(12月22日) 



 カレンダーが歳末の書店などに並ぶ。頂き物も手元に集まる。週ごとの七曜表あり、懐かしい日めくりあり。待ちきれずに一枚目をめくる。来年こそ明るい年に-との思いが膨らむ。
 仮設住宅で年を越す県民に無償で配った金融機関がある。身の回り品を置いたまま避難した人には、どれほどありがたいだろう。東日本を営業区域とする、ある会社は東北6県の震災前の風景写真を1枚ずつ刷り込んだ。本県は桜咲く白河市の小峰城が3・4月の暦に登場する。「美しい郷土を忘れない」。強い願いが全国に届くといい。
 暦作りの元である天文の世界は当たり年となる。5月21日に金環日食、6月6日に金星日面経過、8月14日に金星食が起きる。金環日食は太陽が月に隠れ、輪っか状に見える。日面経過は太陽の手前を金星が横切る。金星食は金星が月に隠れる。金環日食の国内観測は25年ぶり、次の金星日面経過は約百年後という。ファンならずとも興味が湧く。
 7、8月はロンドン五輪がある。本県選手が「金星」を挙げてくれれば、こんなうれしいことはない。期待が現実となり、県民に元気を与える。カレンダーを眺め、少し早い初夢を見る。

2011.12.22 Thu l メディアリテラシー l top
http://www.niigata-nippo.co.jp/nipposho/838.html

演歌の世界では、失恋した女が行く先は「冬の北国」と決まっている。しかも夜汽車だ。傷心を癒やしてくれるのは車窓を流れる雪景色。これが「南国へ飛行機で一っ飛び」だったらどうか。日差しの下では涙も出まい
▼JRの来春のダイヤ改正で、夜行急行「きたぐに」と寝台特急「日本海」が廃止されると聞き、そんな思いにしばし浸った。それはともかく、本県と大阪を一本で結ぶ定期列車がなくなる。「利用者減」が理由だ
▼「きたぐに」は午後11時前に新潟を出て翌朝7時前に大阪に着く。安心して寝ていられるのと1日をたっぷり使えるのがありがたかった。ルーツをたどれば半世紀近い歴史を誇る列車である。思い出がある方も多かろう
▼以前、大阪で働きながら上越市の通信制高校で学ぶ県人女性を取材したことがある。スクーリングに通うのに使っていたのが「きたぐに」だった。残業があっても午後11時半近くの発車までに飛び乗れば、翌朝には教室で先生や友達と会えた
▼大事故もあった。1972年、大阪発青森行きの「きたぐに」が北陸トンネルを走行中に出火、死者30人、負傷者714人を出した。列車火災としては国鉄史上空前の惨事が安全性向上に役立っていると信じたい
▼当方が「きたぐに」に初めて乗ったのは高1の春、火災の8カ月前だ。寝台車など使えぬ貧乏旅だった。満席で、デッキにいると見ず知らずの人がミカンをくれた。速くはないけど温かい。鉄道にそんな空気が満ちていた時代の遠い記憶である。旅情は歌の中だけになりつつある。
新潟日報2011年12月21日
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2011.12.21 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111221_01.htm

河北春秋 財務省の官僚だった高橋洋一さんの近著を読んでいたら、こんな箇所に出くわした。「足りなくなれば国民に負担を願えばいい、というのが役人の金銭感覚」▼省庁の内情を熟知する人の言葉だから、恐らく、その通りなのだろう。国のお金の扱い方は「どんぶり勘定」とも書いている。例えば、雇用保険の特別会計。国民から取り過ぎて毎年、余る

 ▼こうして余った金がいわゆる埋蔵金と化す。国は「埋蔵金は一度使えばそれっきり」と言うが、高橋さんによれば、使ってもまた少しずつ積み上がる性格のもの。まだ余っているお金が国には結構あるらしい▼金正日総書記死去の報で中止したが、野田佳彦首相はおととい、街頭演説を行う予定だった。社会保障と税の一体改革の必要性を強調、歳出削減に努力する決意も示して消費増税に理解を求める考えだった

 ▼物事には順序がある。まずは削れるものは削り、その次が増税だろう。野田流はあべこべ。民主党内で増税反対の署名運動が始まったほか、反対派が結集しつつあるのは自然な成り行きと言っていい▼デフレ不況を脱しないうちの増税では経済が立ち行かなくなる危険性がある。一方で、ある程度、国の財政が厳しいのも確かなことだ。いつ、どれだけ増税が必要なのか、本当のところがよく見えない。

2011年12月21日水曜日
2011.12.21 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.minyu-net.com/shasetsu/nikki/1221n.html

【編集日記】(12月21日付)

 問うことは、知ることの始まりという。人類は恐らく、この世に出現したときから、あらゆるものについて問い、その答えを見つけようとして、長い歴史を刻んできたともいえるだろう▼わたしたちが、この世に存在しているのはなぜなのか、という問いも人類にとっては難問ともいえる根源的なテーマだ。言い換えるなら、この広い宇宙の成り立ちへの問いかけでもある▼その謎に挑戦するために1周27キロという巨大なトンネルを持つ観測装置を使って実験を続けた結果、宇宙の始まりの解明に迫る画期的な発見があったという。東京大などが参加している国際研究チームが発表した▼存在が濃厚になったのは宇宙を形成するという最も基本的な粒子。正式に確認されれば、生命の起源の解明にも道を開く可能性があるとされるが、県民にとっては今すぐに知らなければならないことが足元にある▼政府は福島第1原発について原子炉の「冷温停止状態」と発表した。だが、原子炉は水素爆発で壊れ、格納容器内の様子にしても測定データによる推定にすぎない。今後も、何が起こるかを予測することは難しい▼無知の知、といえばソクラテス。「知らないことを知っていると思い込んでいる人」より「知らないことを自覚している方が賢い」と説いた。まさか「知っていても知らせず」ではあるまい。
 
  福島民友新聞
2011.12.21 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9917308&newsMode=article

あぶくま抄(12月21日) 
 大地震に津波、原発事故、そして豪雨-。今年ほど忘れたいことが多い年はない。こんな年だからこそ集まろうと、忘年会を兼ねた同級会が各地で開かれている。警戒区域の浪江町にある幾世橋小の場合もそうだ。

 卯年生まれが多い昭和50年度卒の26人は今年、4巡目のえとの集まりを開くはずだった。だが、地元に残る同級生は原発事故で家族と共に家を追われた。「みんな無事だろうか」。携帯電話で何とか連絡の取れた13人が郡山市の温泉に一泊した。

 避難先を5カ所も転々とした女性は、千葉県で働く夫や息子と離れ、南相馬市の仮設住宅で娘と暮らす。新潟県の原発で作業し、週末だけ本宮市の避難先に戻る男性もいる。いわき市に逃れた女性は勤めていた富岡町の病院の再開を信じ、再就職をためらっていた。津波で家が流され、肉親を亡くした友もいる。

 話し込むほどに、小学校時代の思い出がよみがえった。変わり果てた故郷も、心の中では美しいままだ。「今度は幾世橋で」。参加者は再会を約束し、自宅や避難先へ戻った。忘れたいことと同じくらい、忘れたくない古里や懐かしい友の顔を思い出させてくれる年の瀬でもある。


2011.12.21 Wed l メディアリテラシー l top
http://www.kahoku.co.jp/column/syunju/20111219_01.htm

河北春秋 昨年末の小欄でJR気仙沼線の観光列車「こがねふかひれ号」の引退を惜しんだ。1年後、大津波で壊滅した同線は列車どころか路線の維持も心もとない▼海辺をガタゴトと行く鉄路には慕わしい風情があった。終着の気仙沼駅の近くに木造の古い宿屋が数軒あり、客を待つ。かつては十数館が軒を連ね、列車を乗り継ぐ商人らを相手に繁盛したという

 ▼今は、震災需要。復旧工事などの宿泊客が絶えることがない。年明け後も予約で埋まっているらしいが、いずれ一時の追い風なのだろう。駅前旅館の役割は別にある▼「まるよし旅館」は震災直後、被災者のために寝具を提供し、客を受け入れていない。全館貸し切りの求めもあったが、主人の吉田則夫さん(76)は「水道も電気も止まり、食べ物もないから」と断った。旅館業の矜持(きょうじ)と言える

 ▼かつては翌朝の列車に間に合うように世話をして「食事おいしかったよ」「また来てね」と言い交わし客を送り出した。「車社会になっても小さな駅前旅館の良さはあるんです」と吉田さん▼気仙沼線には耳慣れない新輸送システムの導入案がささやかれる。住民が求めるのは鉄路の安定感と快適性ではないか。常に人の暮らしと共にあったローカル線。復興後の「新列車」はどんな人たちを乗せ、何を運んでくるのだろう。

2011年12月19日月曜日
2011.12.19 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.iwate-np.co.jp/fudokei/2011fudokei/m12/fudo111219.htm

風 土 計

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2011.12.19

 この時季になると思い出す味がある。おせち料理に欠かせないかまぼこ。釜石市の魚貞商店では、年末にかけてかまぼこ作りに大忙しだった

▼「気温が高いと魚肉が変質する」と、作業場では暖房を使わなかった。冷え切った作業場で、年季の入った職人さんが、練り合わせた身を手付包丁というへら状の道具で板に半円状に盛りつける

▼機械に頼るのは練り上げる作業だけ。はかりに掛けなくとも、板に盛りつける身の分量は寸分違わない。「勘で分かる」というが、まさに職人の技。何度も形を整えながら、一つ一つ丁寧に仕上げていく

▼プリプリとした食感が何とも言えなかった。原料のスケソウダラなどは輸入物に頼らざるを得なかった。「やめようと思ったこともあったが『今年も待っているよ』といわれると」。お得意さんの言葉が職人の心を支えた

▼そう言って毎年腕を振るっていた魚貞商店社長の菊池貞次さんが大震災で亡くなった。店も被災したが、遺族は飲食部門の再建を目指し、「将来はかまぼこ作りも」と心に誓う。地域に根付いた味、店の復活の動きも目立ってきた

▼津波で被災した釜石市大町の「呑(の)ん兵衛(べえ)横丁」も23日、鈴子広場のプレハブ飲食店街の一角で第1陣が店を再開させる。地域に愛されてきた店の復活は復興に歩み出す市民を元気づけてくれる。

2011.12.19 Mon l メディアリテラシー l top
http://www.minpo.jp/view.php?pageId=4127&mode=0&classId=2&blockId=9916772&newsMode=article

あぶくま抄(12月19日)  
 コピーライターの糸井重里さんが、短文投稿サイトのツイッターで今年一番使った漢字は「思」だった。2番目は「見」で「言」「本」「気」と続く。さまざまなことがあった1年。つぶやきとはいえ、見て、思ったことを本気で発言してきたということか。
 世相を表す「2011年 今年の漢字」には「絆」が選ばれた。大規模な災害が相次ぐ中、誰もが人と人とのつながりの大切さをあらためて感じた。2位以下も「災」「震」「波」「助」「復」「協」「支」「命」「力」と激動の年を物語る字が並んだ。
 地震と津波の巨大な災害に見舞われたが、助かった命があり、復興を目指して協力、支え合う今がある-。選ばれた十字を見れば、困難に一時は打ちひしがれても、立ち上がり前に向かおうとする日本人の気持ちが表れた。
 「きれいごとは聞きたくない」という気持ちもあるだろう。「嘘」に「怒」「恨」「涙」ばかりだったと。しかし、陰気な文字ばかり使っていたら、自分の心の奥にも、どす黒いものがたまってしまうような気がする。用いた字は身を表す。自分が今年一番使った字は何だったろう。本気で自分の思いを語ったか。おのおのが振り返ってみてもよい。
2011.12.19 Mon l メディアリテラシー l top
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